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心身

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私たちの身体には生体エネルギーが流れています。 と言うより、私たち自身がエネルギーそのものなのです。身体と精神が統合された状態であれば、生体エネルギーは何ら妨げられることなく自由に流れ、身体はそのエネルギーに満たされています。

しかし、その統合が妨げられ、その二つが別個のものと考えられた時、そのエネルギーはまるで、水が腐り、ヘドロがたまる、せき止められた川の水のように、流れは妨げられ、エネルギーが不足することで、心身両面に苦痛や機能不全が現れてくるのです。その統合を妨げるのもの、それは私たち自身が作った誤解なのです。 そのひとつに、過去の未解決の物事が有ります。

私たちは現在に生きながらも、その意識は、往々にして過去に留まっています。その為、事有る毎にに過去の経験を色々な形で甦らせます。楽しかった事、嬉しかった事、失敗した事、困った事、苦しかった事、悲しかった事etc、そして、その経験を思い出す事が、時として固く硬直した状態を心や身体に作ってしまうのです。 もう一つは、理性と意識がもたらす硬直です。

私たちは、本能的なもの、魂の要求や、身体から噴き出る情動より、理性や意識が高位なものと誤った考えを持っています。その為、笑いたいときに笑えず、悲しいときに泣けない、怒りを抑え込み、すべての感情を理性と言う鎧に包み込んでいるのです。 しかし、どれだけ理性的に生きているつもりでも、身体はほとんど無意識に働いています。その本能的な物に理性が抵抗するとき、同じく硬直が生まれるのです

私たちはいつの頃からか、身体と心の間に不自然な壁を作り、身体から心を分離させ、自信を抑圧の下に置き、心身の歪みや不快を生んでしまったのです。この抑圧されたことで生まれた苦痛は、多くのエネルギーを消耗し、より創造的な感情や愛情、自らを向上させる力を奪っていったのです。

心と身体は密接につながっています。心と身体は同じことを語っています。身体は心が語る以上に、心のことを現せています。身体を調整することは、心を調整することであり、またその逆も同じです。コンフォートでは、自身の身体のことをより知って頂き、身体と心の壁をとり除くことで、様々な抑圧から心身を開放(コンフォート)し、その抑圧が作っていた身体の不調を軽減するお手伝いをさせて頂きます。

心のチェック

普通に生活しているつもりなのに、原因不明の身体の不調が続く様でしたら一度心のチエックをして見たらいかがでしょうか? 現代社会ではあまりにも抑うつ状態が一般化されたことで、それを正常とする考えまで生まれてきています。

しかし、それには、あくまでも日常の仕事や生活が出来ると言う条件がついています。逆に言うと多くの現代人が健康では無いと言うことになります。抑うつ状態に共通しているのは「非現実性」です。過去に持った考え方に囚われ、現実を否定しています。 しかし、自分自身はそれにほとんど気がついていません。自分の存在は、現在とつながらない反面、過去と同じぐらい非現実的な未来と結びついているのです。

調律されたピアノは、様々な音楽を生み出します。時には悲しい、時には楽しい、また感動的な・・・。 しかし、調律が上手くできていないピアノからは、不協和音しか聞こえません。場合によっては音を出す事さえできない事もあります。抑うつ状態における非現実性が顕著に現れるのは、自分自身の身体に触れていないという点にあります。 自分自身の存在を、日常的に意識していない為、自身の状態に気付いていないのです。

心が、非現実的なイメージに集中している為、あるがままの自分を見ることが出来なくなっているからです。また筋肉の硬直にも気づいていません。 そして、身体の調子が良くなく、運動能力が衰え呼吸が抑制されてている事を感じる事もできないのです。 生きている身体を、現在の中で生きているにも関わらず、未来の目標に興味が向けられているため、取るに足らない物として捨て去っているのです。

アリストテレス

アリストテレスは、心と身体について、心の状態の変化は身体の形状の変化を起し、逆に身体の形状の変化は心の状態の変化を生じると言っています。 心の動きは何らかの形で脳に反映され、それは視床下部を起点に、自律神経系や内分泌系経由して抹消諸器官へ伝達されます。

例えば、怒りや恐怖の刺激は中枢神経を興奮させ、視床下部から交感神経を介して副腎髄質へ伝達され、その結果アドレナリンが分泌され、それが末梢諸器官の変化を生じさせるのです。 それらの変化には、血圧上昇、頻脈、血糖値の増加、気管支の拡張、瞳孔の拡大、手掌からの発汗、などが有ります。

このような外界からの刺激対する様々な反応は、生理的な反応で、決して病的なものではなく、生体を維持して行く為の適応的反応であり、抵抗反応なのです。身体を病的な状態にするのは、行動に適応されず阻害された時や、抵抗エネルギーが消失した時に起こるのです。

人は不安や緊張が生じるような出来事に出くわすと、それと対決的、攻撃的に解決しようとするか、他者の援助を求め依存的に解決しようとするかどちらかの行動をとろうとします。

しかし、そのような自分が思ったように行動出来るとは限りません、心理的な対決姿勢をとった場合の自律神経は、交感神経優先状態になります。しかし、実際に対決的、攻撃的行動が取れない時には交感神経の緊張は持続し、その結果高血圧や片頭痛などを起します。 反対に依存的な行動が阻害されると、副交感神経の緊張状態が続き、消化性潰瘍や、気管支ぜんそくが起こってきます。

動くこと

多くの人が 誤解しています。 「身体の大半が固体」だと・・その為、柔らかなことに否定的な考えを持ち、硬い状態に肯定的なイメージを持っています。 しかし、現実はそうでなく、身体の80%近くが水分なのです。あの硬いと思われている骨ですら、髄液と言う『液体』で満ちています。筋肉も流動体である体液に満たされた袋のようなもので、外からの圧力に対し、自らの緊張と弛緩による「体液の移動」で容を変えています。

変化する能力、流動性があるのです。その反対が硬直性です。これは変化に抵抗する力のことを言います。 ただし、鋼鉄が求められるような「変化に抵抗する力」は人の身体には求められていません。しかし、多くの人が「鋼の様な身体」を、強い理想的な身体と勘違いしています。人は、硬くなればなるほど変化し難くなってしまいます。しかし、生きることは「連続する変化」で、生命は連続した変化の過程そのものなのです。その為、変化できない場合、様々な問題が生まれてくるのです。

人の身体に求められているのは、流動性を持つ事、変化できる事なのです。 これは「心」も同じことが言えます。強い信念、変わらないことが大事なのではなく、特定の考えや心理状態に固執しない、状況に合わせ心が反応し、喜怒哀楽を自然に出せる状態が、心の健全な状態です。

信じることを否定しているのではなく、信じることで心に流動性がなくなることが問題だと考えているのです。それは、一定の形を持たない不安定な状態ではなく、一定を保つ安定したうえで、変化に対応できる状態を言います。 柔軟性と安定性のバランスがとれた状態が大切なのです。