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2019年6月 岸和田健老大学講演
【痛みとメンタルヘルス】
私達が経験する不快なものの一つに「痛み」が有ります。
誰もが、この「痛み」に悩まされた経験を持ち、出来れば今後一切関わりたく無いと思いながらも、ある日突然やって来る厄介者が「痛み」です。
私は、整体業を続ける中、いくつかの痛みに関わる身体の不思議な経験をしました。
そして、その「不思議」が「心」に深く関わるのを知った事をきっかけに、メンタルヘルスを学び、現在は「メンタルヘルスとボディーワーク」の両面から身体の不調に取り組んでいます。
私たちは、身体に痛みが有る時には、痛みの無い日常がいかに有り難いかを痛感しますが、普段の生活では「痛み」をあまり意識していません。
しかし、この痛みの経験は、私たちの潜在意識の中に深く残り、気づかないところで身体に影響を与えています。
では、「痛み」とはどういう物なのでしょう?
国際疼痛学会(世界の麻酔科、脳外科、整形外科、心療内科、神経内科の他、多くの臨床医、理学療法士等のリハビリ関係者、看護関係者、そして生理学・薬学・解剖学等の基礎医学関係者が参加)では、痛み(疼痛)について、
「実際に何らかの組織の損傷(怪我、火傷など)が起こったとき、または組織の損傷を起こす可能性があるときに表現される、不快な感覚や不快な情動体験」
と定義しています。
不快な感覚とは、身体に害を及ぼす刺激が生じた分部とその強さの「認知」が関係する感覚的な事をさし、情動体験とは、その様な刺激を受けた事に伴う不安、抑うつ、恐怖などを指しています。
また、痛みの伝わり方については、
「物理的な刺激や化学的な刺激を、末梢の神経が感知して、電気的なシグナルに変えたものを、脊髄経由で、大脳が痛みとして認識した結果」
としています。
と言う事は
痛みは“不快な感覚や情動”を“大脳が痛みとして認識した結果”と言うことになります。
情動とは“突然沸き起こる感情”の事で、それを“脳が痛みと判断する”と言っています。
簡単に言いますと、
「痛みは実際に受けた刺激を、自身どのように感じるかで作られている」
と言うことになります。
それでは、「どのように感じるか」が痛みで有れば、その「強さ」についてはどうでしょう?
あなたが痛みを訴えても他人にはその程度は分かりません、あくまでも絶対的な「自覚」なのです。
今までに、「痛がりやな~」とか「鈍感やなあ~」とか、言ったり言われたりした事は無いでしょうか?
赤ちゃんは予防注射の時に、ケロッとしています。
しかし、一度注射を経験した事で、病室の前で泣いている幼児を見た事は無いでしょうか?
また、認知症になった方の痛みの感じ方は極端に弱くなります。
乳がんの手術をした翌日、施術をした事を忘れてしまった方が、痛みをほとんど感じなかったという事が実際に有ります。
痛みとは、経験をベースにした、不安や予測に基づき、主観であり、自覚であり、人それぞれ違うものです。
では、あなたの感じている痛み、その「強さ」を、他人にどのようにして伝えたらいいのでしょうか?
例えば病院に行ったとき、お医者さんや看護師さんに….
医療の現場では、「自覚」である、その「強さ」についても何らかの評価をしなければならず、その為にいろいろな方法が使われています。
代表的なものをいくつか紹介しますと
{視覚的アナログ尺度}
今感じてる痛みはどの辺りですか?
痛み無し 想像できる最大の痛み
0 < 100
{数字評価尺度}
これまで経験した最悪の痛みを10とした場合、今の痛みは?
痛み無し=0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10=想像できる最大の痛み
*私は、肩こりや不快感などの程度を知るためにもこれを使っています。
{行動評価尺度}
あなたに痛みはどれに相当しますか?
( )痛み無し
( )痛みはあるが気にならない
( )痛みが有り、気になるが、毎日の行動の妨げにはならない
( )痛みが有り、気にかかり、集中力の妨げになる
( )痛みが有り、気にかかり、トイレや食事のように必要最小限の用をする以外すべての事の妨げになる。
( )痛みが有り、気にかかり、休んだり横になることが必要である。
等の方法で、自覚的な痛みは、何らかの尺度で表すことにより、その程度を他者と共有し
ようとしています。
また、痛みの分類にも、様々な方法が有ります。
その中に、時間の経過からみた「急性痛」「慢性痛」があります。
「急性痛」の代表例は、“外傷、打撲、手術後などの疾患に関した痛み”で「慢性痛」は痛みが生じてから三か月以上継続している痛みの事を言い、具体的には、腰痛、坐骨神経痛、頸部痛、帯状疱疹後神経痛などが有ります。
「急性痛」の大半は、原因がはっきりしているので、効果的なアプローチも可能ですが、「慢性痛」は、原因不明の場合が多く、的確な治療も出来ない為に快方まで長い時間が掛かる事が多くあります。
私の「痛みに関しての不思議な経験」は、そのすべてがこの慢性痛でした。
国際疼痛学会では慢性痛の事を、「治療に要すると期待される時間の枠組みを超えて持続する痛み、あるいは進行性の非がん性疾患に関する痛み」として、痛みが強く日常生活に支障をきたす治りにくい痛みを慢性痛としています。
また、世界保健機構の基準では「身体表現性障害」の中の「持続性身体表現性疼痛障害」に当てはまります。
「身体表現性障害」とは、患者の内的な悩みやストレスなどが身体的な症状として現れることを言い、医療の現場での診断のガイドラインでも、「診察や検査を繰り返し受けても異常がなく、その症状には身体的基盤がないと医師が保証しても、医学的な検索を執拗に求め、また繰り返し身体症状を訴えるもの」とされています。
言い換えると、
痛みを感じ病院に行き、医師に痛みを訴えたのに
「検査をしましたがどこにも異常はないです」
と言われたことに納得できずに
「そんなはずはない、もっとよく調べてほしい」
と痛みを訴え続ける事で、ドクターショッピング(医療機関を転々とする事)をする場合も多くよく聞く話です。
しかし、慢性痛についての診断基準に、米国精神医学学会が出しているものがあります。
そこでは、
「患者の訴える症状は、様々な検査で異常が無いから身体的障害に基づいたものでは無い」
と従来の考えていたものから、
「患者の訴える症状の背景にある身体的障害は、現在の医学では見つけ出すことの出来ない」
と言うとらえ方に変え、
医療者は患者の訴える症状に真摯に向き合い「その症状によって生まれる感情や行動への負の影響を少しでも取り除く」ことに努力すべきで、患者も「症状の器質的な異常を現代の医学では見つけられない」ため、「器質的な異常にこだわるのではなく、その症状によって生まれる負の感情や行動を改善していく」ようにすべきであるとしています。
言い換えれば、
「患者は実際に痛み(症状)を感じているが、その原因は現在の医学では見つけられない、だから原因にこだわるのではなく、痛み(症状)を感じている事で患者に起こる負の感情や、負の行動をまずは改善してみよう」
と言う事です。
例えば、不整脈が出た人は、ほかの人が普段気にしない、心臓の鼓動に必要以上に神経質になっています。
ぎっくり腰を経験した人は、再発を恐れ常に腰辺りの感覚に注意を向け、身体の動き、特に下のものを持ったりするときには、ぎこちなく無駄な力を使っています。
その為、腰周辺の筋肉は常に強張り、動かすたびに違和感を持ち、時にそれを痛みと感じることが有るのです。
また、めまいを経験した人の中には再びめまいを起こさないように、極力頭を動かさない、不自然な身体の使い方で日常生活を送っています。
机の上に手のひらを当ててそこに意識を集中してください。
何気なく手を置いてる時と比べてみて下さい。
意識するのとしないとの差をわかっていただけたでしょうか?
身体に問題を感じた人は、その問題を気にする事で、ますます自分にとって大きな問題にしています。
そこにも、「こころ」が大きくかかわっているのです。
笑福亭鶴瓶さんが言ってました「俺は気持ちで風邪ひくんや!」
もう一度言います。
痛みは“不快な感覚や情動”を“大脳が痛みと認識した結果”
なのです。
この様に、海外の医学の世界ではすでに「痛み」(症状)に対し、精神的な側面「心」が深く関わっている事を認め、特に原因がわからない長期間続く慢性痛の治療には「心」に対してのアプローチが大切だと考えています。
しかし、残念なことに、日本の医療の現場では、それが忙しすぎるからなのか?また保険制度のおかげで、患者に治療費についての心配が外国に比べ少ないからなのか?
「心」に対するアプローチがないままに、薬の投与や(直接効果があると思えない?)外科的な治療(安易な判断での手術)が行われる場合など、「気休めと分かりながらの治療」をすることが時にはみられます。
余談ですが、国民皆保険制度のないアメリカでは、一部公的な保険を受けている人もいますが、基本は個人で民間の保険会社と契約する、簡単に言えば日本の自動車保険のようなシステムなので、その種類によって負担金額や補償内容も変わります。また、保険に加入していない人も大勢(2016年で8.8%)居るので、効果の少ない医療行為に対する考え方は日本に比べシビアなものが有ります。
入院日数についてもアメリカでは30年前から短縮する傾向にあり、近年日本でも徐々にその考えに基づく医療機関が出てきましたが、当時から盲腸の手術についても、術後数時間で歩いてトイレに行き、翌日には退院するのが当たり前になっていました。
また、椎間板ヘルニアの手術は内視鏡で日帰りになっているそうです。
そこには「安静」に対する否定的な考え(安静期間が長ければ長いほど身体の機能が衰える)も影響していますが、医療費が実費の為、高額な入院費や治療費を払えない環境も大きく影響しています。
また医師の診療報酬も、日本では定められた診療報酬を加算していく「出来高制」なので個人的な理由での診療(自己都合での入院の延長・・暦、退院の足、自宅の問題)にも保険請求ができますが、アメリカでは医療費抑制の方向から、一つの疾患の治療について決まった一定額を支払う「定額制」なので、医療サイドでも出来るだけ節約して治療(投薬)した方が、利益の出る仕組みに成っています。
*どちらが良いかは?
それでは、私が仕事の上経験した不思議な出来事についてお話します。
これはメンタルを考え、学び出したきっかけになった体験です。
34歳体格のいい女性でした。
表情が暗かったのが気になりながら施術を始めたのですが、その背中の硬い事。
中肉の女性に意外と背中が硬い人がいることは経験していましたが、彼女の場合はまるで「鉄板」でした。
施術で、何とか少し背中はゆるみ、本人も「楽になった」と言われ、その日は少し明るい表情で帰られたのですが、その翌日朝に予約の電話が有りまた来られたのです。
「やっぱり、まだ十分でなかったのか」と思いながら、背中を見たところ、昨日と同じ「鉄板」で、また同じような施術をして、同じように「楽になった」とその日、次の日の予約をされ帰られました。
次の日もまた「鉄板!」あまりにも効果のないことを疑問に思った私は、初回に基本的な問診はしていたのですが、施術の終盤身体がゆるんできた辺りで「なかなか身体の状態が良くならないのですが、心当たりは有りませんか?」と遠回しに聞いてみました。
すると彼女は「この近所で事務所を借り仕事をしていた父が急死したので、その片づけに通っている」事
を話してくれました。しかし、そのとたんに背中は一瞬にして元の「鉄板」に戻ってしまったのです。
その彼女は一週間ほどで片づけが終わり来なくなりましたが、その間必死に施術をしたにも関わらず、毎回彼女の背中は「鉄板」のままでした。
私はあまりに施術の効果が無かった事、一瞬にして固くなった背中の事が、頭から離れず、それまでもストレスが身体に影響を与える事はわかっていたつもりでしたが、急死した父親の始末を一人でするストレスの大きさ、それが身体に与えるダメージを目の当たりに体験したことで、改めて「心と身体」の事を学び直したのです。
次は、「肩が上がらなかった女性」のお話です。
彼女は私の整体院のホームページを見られて電話を掛けてこられました。
彼女はホームページの中に紹介している「TMS理論」に関心を持ち、自分もそうではないかと思われたのです。
その「TMS理論」についてですが、簡単に紹介しますと
「腰痛は怒りである・・痛みと心の不思議な関係」春秋社(長谷川淳史著-はせがわじゅんし)と言う本が有ります。
ここには「腰痛放浪記、椅子が怖い」で“自らの腰痛が心身症であった”体験を書いた作家、夏樹静子さんも推薦されていて、「TMS理論(Tension Myositis Syndrome)緊張性筋炎症候群」に基づく「痛みの原因」について書かれてあります。
このTMS理論とは、ニューヨーク大学リハビリテーション医学教授、ジョン・E・サーノ医師が1987年発表した物で、その中に有る「筋炎」とは、筋肉に「炎症」が有るということではなく、“筋肉の中に何らかの変化がある”という意味で、サーノ博士はこれを「痛みを伴う筋肉の生理的変化」と言っています。
そこでは、肩こりから、腰痛、手足の痺れ、五十肩、その他の関節の痛みまでが共通した原因による一つの症候群だとしています。
その理論発見の経緯ですが、
小児科医だったサーノ博士がリハビリテーション医学に転向し、そこで、教科書で学んだ検査所見と、実際の現場での臨床症状が違うことに疑問を持ったのが始まりだそうです。
例えば、
多くの場合、腰痛は“腰椎や椎間板の老化によって起こる”とされています。
実際に彼が患者の訴えと、レントゲンに写る病変とを調べたところ、患者の訴えている症状は、レントゲン写真に写る病変とは全く関係の無い部位に現れたのです。
しかも、病変の程度と痛みの程度も同じではなく、ほんの少しの変形でも動けないくらいの痛みの人と、見るも無残な状態でも痛みの軽い人が居たのです。
何かに神経が圧迫され坐骨神経痛が起きているはずなのに、その何かは何処を探しても見つからず。
もちろんその逆の場合も有り、変形が強かったり、ヘルニアが大きいにもかかわらず、軽い坐骨神経痛しか訴えない患者が居たのです。
なによりも不思議だったのは、検査で見つかった病変に変化が無いのに治ってしまう患者が居る事でした。
他にも、腰痛の原因が、不良姿勢、運動不足、外傷、骨の先天異常等だと言われていましたが、いくら医学文献を調べて見ても、こうした要因による“痛みの発生のしくみ”は明らかに成っていなかったのです。
これはいったいどういう事なのか、現代医学が間違っているのか、それとも自分だけの妄想にすぎないのか?「そんな事もある」と多くの専門のリハビリテーション医なら言うところ、元が小児科医だった博士には不思議でたまらなかったそうです。
さらに、疑問に思ったのが、治療の効果が一定せず、「重症者が早く治ったり、軽症の人が何時までも良くならない」とまったく予後の検討が付かなかったうえ、全体の治療成績を見ても、「時には効果が有るように見える」程度に過ぎなかったのです。
小児科に居た時は、こんな事は無く、教科書通りに診療をしていれば確実と行かないまでも、ある程度の予後は推測できたのです。
その様な疑問を持ち続けながら患者を診ていくうちに、彼は腰痛患者の痛みは、骨や軟骨から生じているのではなく、筋肉に原因が有る事に気がついたそうです。
さらに興味深い事に、筋骨格系疾患の患者の病歴を調べると、緊張性頭痛、偏頭痛、胸焼け、胃酸過多、食道裂孔ヘルニア、胃十二指腸潰瘍、大腸炎、過敏性大腸炎、麻痺性大腸、花粉症、喘息、前立腺炎、湿疹、乾癬(かんせん)、にきび、めまい、耳鳴り、頻尿、反復性膀胱炎、などの病歴を9割の患者が持っていたのです。
そして、これらの病気の共通点が全て「心身症」と呼ばれる病態だったのです。
要するに
「筋骨格系疾患を抱える患者の多くが、心理的緊張によって生じる病態(心身症)を過去に経験していた」
のです。
と言う事でTMS(Tension Myositis Syndrome)「緊張性筋炎症候群」の緊張とは“こころの緊張”の事を言って居るのです。
そして、博士が腰痛に心身症を疑うように成ってから、何気なく心理的要因を探りながら診察を続けて行くと、早く治る患者と治らない患者がほぼ正確に予測できるように成ったのです。
さらに、その中で、痛みの原因がこころに有る事を認めた患者は、それを否定した患者に比べると、より早く改善している事にも分かったのです。
この発見によってサーノ博士は筋骨格系疾患に対するもっとも重要な治療的要素は、自分の身体に起きている事を、本人が正確に理解する事だと確信するようになりました。
そして、それを患者に理解させる事が、筋骨格系疾患の「特効薬」に成ると言う結論に達し、これがTMS理論の始まりでした。
話を戻しますとその「肩が上がらない女性」ですが、話の詳細は支障があるのでここには書けませんが彼女の訴えは
「昨年末(約1年前)から急に腕を上げようとしても肩が痛くてあげれなくなった。日常生活は何とかなるが、それまではゴルフを月に2~3度(ラウンド)していたのに痛みのおかげで行けなくなった。一年間、いくつかの整形外科や接骨院に通ってみたが何ら改善の兆候すらなく、困った挙句にネットで「TMS理論」を知りそれを理解している近くの場所としてここに来た」
との事でした。
彼女の場合、来院時すでに「TMS理論」を知り自分がそれに当てはまるのではとまで考えてこられていたので話は早く、まずはカウンセリングから始めました。
内容はとても稀なため、本人を特定しやすいのでここで紹介する事は出来ませんが、ストレスの原因は、「問題の多い実母との関係」で、その母親が高齢になり、近くの施設に来たことで、毎日のように接するようになり、徐々にストレスが溜まって来たことでした。
カウンセリングでは、お母さんとの関係を、子供頃に遡り聴くことから始めました。
そして4回目のカウンセリングの後の施術で腕の痛みはなくなりました。
その時は、施術前のカウンセリングでお母さんとの接し方「毎日のようにかかってくる呼び出しに、「行かなければならない」と思いながらも、その負担から、いつの間にか電話自体を怯えるようになっていた自分に気づき、「いくら高齢の母だからと言って、気ままにかかってくる呼び出し、それも大して急ぐ用事でも無い、寂しさからの愚痴を聞くだけに、毎回毎回飛んで行ってまで、自分の生活を犠牲にする必要はないのでは…と思えるようになって来た」との話でした。
親孝行と言う縛りから少し解放され、彼女の考え方が少し変わって来たのです。
カウンセリングも終わり、施術が始まっても彼女の話は続き、「だいぶ気が楽になってきました」と言ったのは施術の最後、両腕を引き上げ、痛みを確認する時のことでした。
彼女の話が途切れないので、いつもは「痛みはどうですか?」と聞きながら腕を上げるところ、その時は声をかけずゆっくりと腕を上げてみたのです。
彼女は腕が上がっている事にも気づかず、私が「痛くないですか?」声をかけるまで話し続けていました。
当然痛みがないのに腕が上がっている彼女は驚きとうれしさのあまり号泣されました。
その涙はさらに彼女の心を解放し、そのあと何回も腕を上げてみても痛みは全く感じられませんでした。
彼女の場合は、母親との関係が生む精神的なストレスの結果、腕が上がらないという身体の症状が出たのです。
ほかの症例では、腰痛が最も多く、次に肩こり、それと消化器系がビックスリーで、腕や顔面のしびれなどの感覚異常などが有ります。
それでは、痛みや身体の不調を改善するために、その原因であるストレスをどのようにしたらいいのでしょうか?
そこでカウンセリングが登場するのです。
次回、私の講座はその辺りの事を中心にさせていただきますが、このままでは消化不良化と思いますので、少しお話をさせていただきますと、多くの精神的なストレスは、心の中の葛藤なのです。
頭では理解していても、行動や気持ちが変えられ無くて悩んでいる人には、自分を守り維持したいとする「自己防衛心」と、こんな自分では嫌だ、今までの生き方を変えようとする「自己成長心」とが対立し、葛藤状態にあると考えられます。
二つの気持ちの対立
*これまでの自分を守り維持したいと言う=自己防衛心
*こんな自分では嫌だ、今の生き方を変えて成長したい=自己成長心
それともう一つ、悩んでいる人の思考には、歪みが有ります。
頭の中だけでもう一人の自分と話し続けた結果、主観的な考えに凝り固まり、合理的な考えが出来なくなっています。
妄想に近い偏った、歪んだ考えにとらわれてしまっています。
そういう自分に気づくことが心の問題の解決の糸口になるのです。
感情を理解する事でこころの問題が見えてきます
歓びは・・・期待がかなえられたり、かなえられそうな時の感情
不安は・・・期待通りに行く見通しが立たないときの感情
怒りは・・・当然えられるべき期待が得られなかったり、得られそうにない時の感情
悲しさは・・期待したい物を失った時や、失いそうな諦めの時の感情
苦しさは・・期待通りに行かない事が続く時の感情
感情を知る事で、自分の期待している事、つまり自分の要求がどのように充足される見通しを持っているか、あるいは結果をどのように評価したいかが、おのずと見えて来て、その感情を生み出す事となった期待の内容、つまり自分が何を求めているのかを知る事が出来ます。
そして、その感情に苦しむ事の多い人には、「期待しやすい自分、あきらめの悪い自分」が有るのです。
総合整体院 コンフォート院長 竹村光彦
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